『言葉』(Sözler)第1の言葉 — 荒野を行く旅人の比喩

無限の安全の名:王の権威をもって歩む

王の名によって旅する者は、盗賊の巣食う砂漠をも恐れずに歩めます。「ビスミッラー」と唱えることは、有限な脆さを宇宙の無限の全能に結びつけることです。

「神の御名において(ビスミッラー)」はあらゆる真の善の始まりです。私たちもこの言葉から始めます。わが魂よ、知るがよい。この祝福された言葉は聖なる生の証であるだけでなく、万物が自らの存在の言葉によって絶え間なく唱えている祈りなのです。 「ビスミッラー」がいかに尽きることなき力であり無尽蔵の恵みであるかを知りたければ、この比喩に耳を傾けなさい。 危険な砂漠を行く旅人は、盗賊の害から逃れ糧を得るために有力な首長の名を帯び、その庇護に入らねばなりません。さもなければ無数の敵と自らの限界の前に滅び去るでしょう。 さればわが誇り高き魂よ!あなたこそはその孤独な旅人であり、この現世はその砂漠です。あなたの無力さと欠乏は際限がなく、恐れと欲望は無限です。真実がそうであるなら、この宇宙の永遠なる主の御名を受け取りなさい。被造物の前に物乞いをし、あらゆる出来事に怯える惨めさから己を解放しなさい!

— Bediuzzaman Said Nursi, 『言葉』(Sözler), 第1の言葉 — 荒野を行く旅人の比喩

哲学的要点

至高の御名を唱えることは儀礼的な形式ではありません。それは慢性的な無力感を揺るぎない尊厳と平安に変える実存的な同盟なのです。

一問一答解説

Q 「ビスミッラー」と唱えることが、いかに不安を抱える人の心理状態を変容させるのか?

A 不安は宇宙の重荷を自分一人で背負わねばならないという錯覚から生じます。「ビスミッラー」は主が万物を導いておられることを自覚させ、孤独な奮闘者から信頼する客人へと内面の姿勢を転換させます。