手紙第5の手紙

悪の問題と神の知恵

明らかな災難や病気が、なぜ隠された形の慈悲であるのか。

主権は神のものです。神はご自身の領域を望むように処分されます。熟練した仕立屋があなたに着せた服を直し、切り、整え、長くして彼の芸術を示すように――あなたは立ち上がって「私を傷つけている、服を台無しにしている」とは言えないはずです。 全く同じように、栄光の創造主は、人類に着せた肉体のシャツを、病気や災難を通して切り、整えることで変更し、癒やす者、忍耐する者、頼られる者といった神の御名の現れが理解されるようにしているのです。 もし病気や災難がなければ、人生は単調になり、感謝は忘れられ、永遠に対する人類の切望は消滅してしまうでしょう。したがって、表面上は醜く見える災難の下には、無限の美しさが隠されているのです。

— Bediuzzaman Said Nursi, 手紙, 第5の手紙

哲学的要点

苦難は神の罰ではなく、魂を洗練させ、さまざまな神の御名を明らかにするための道具なのです。

一問一答解説

Q なぜ神は病気を許されるのですか?

A 人間の独立という幻想を打ち破り、「癒やす者」という神の御名を知らせるためです。