『閃光』(Lem'alar)第23の閃光 — 自然論 (Tabiat Risalesi)
自立した創造者としての「自然」の幻想
物理的原因が、結果に現れる知性や意志、普遍的力を持ち得ない理由の厳密な論理的分析。
— Bediuzzaman Said Nursi, 『閃光』(Lem'alar), 第23の閃光 — 自然論 (Tabiat Risalesi)自然とは芸術作品であって芸術家ではありません。刺繍であって刺繍工ではありません。自然法則とは定められた規則であって、意識ある立法者ではありません。 印刷所の金属活字やインクが勝手に並んで深遠な書物を著すことができず、文字を識り意図を持った印刷工を必要とするのと同じです。 私たちが「自然法則」と呼ぶものは至高の力が働く一貫した秩序の現れにすぎず、法則そのものが創造者となることはできません。
哲学的要点
法則はエンジンがどう動くかを記述するだけであり、法則自身がエンジンを設計・製造することはできません。
一問一答解説
Q 道具(媒介)と主体(行為者)の違いは何か?
A 道具は力を伝えるだけです(紙を走るペンのように)。文章の意味や思考は書き手からのみ生じます。自然はペンであり、著者ではありません。